[8月]旅先で吟じたい詩吟「夏草や」




夏草や 兵(つはもの)どもが 夢の跡


通釈:ああ、夏草のこの茂りようは!かつてここで激しく戦った武士たちの義心も功名も術策も大きな自然の中ではほんの小さな一瞬の営みに過ぎなかったのだ。彼らの望みは空しく、あとに残ったものは、土に還った彼らの肉体から夏ごとに生い出でる青草だけなのだ。


松尾芭蕉の有名な俳句、「夏草や兵どもが夢の跡」は、『おくのほそ道』の旅中、平泉を訪れた際に詠まれた句です。


私はこの句が大好きで、実際に岩手県平泉にも行きました。真夏の暑い日で、本当に平泉には何もなくて、草がぼーぼーに生い茂っていました。


私は「こういうことか……!」と妙にわかったような気がしました。


平泉に行ったらぜひこれを吟じたい!と思っていたのですが、呆然として吟じるのを忘れてしまいました。


先日体験教室に来てくれた友人のSくん(30代)とこの「夏草や」を吟じました。彼は山登りや釣りなどのアウトドアと南半球の音楽を愛しており、自称草食系男子と言えどもまだまだ若いSくんが発する大きな声からは、かつて先人が山や野原で叫び合われたような歌の原点を見たようでした。


体験教室の最後にはしっかりとこの吟が吟じれるようになったSくんは「人生変わりそう!」などと大げさなこと言ったのち(もちろんとっても嬉しい感想!)、「あ〜」と何か納得したような深いため息を打ちました。そしてメキシコ旅行中に見たピラミッドの話しをしてくれました。


ピラミッドのある場所では、かつて権力をふるっていた者が奇妙な草花な集め、狂乱の宴を催し、とんでもない建物を造りとにかくやりたい放題やりきった。そして今となって彼が見たものはその残骸であるピラミッドと何ごともなかったようににょきにょき生い茂る草と飛び交う虫であったと言う。胸いっぱいになったと言う。


私はこの俳句に至る奥の細道の散文を思い出しました。


國破れて山河あり 城春にして 草青みたり と
笠うちしきて 時の移るまで 涙を落しはべりぬ


芭蕉もSくんのように先人に思いを馳せ、落涙した。メキシコにも行ってみたい。世界のあらゆる跡地を訪ねてみたい。そしてそこで吟じてみたい…。


歌は本来、言語がさだまっていない頃から、愛しい人への思いや神に救いを求めるとき、自らを律するために詠われてきました。まだ国の隔たりもはっきりしておらず、その頃のメロディーや発声方法は世界中で似たり寄ったりです。古典である詩吟が日本人のDNAに通じながらも人類のDNAに通じるのではないかというのは私の持論です。旅好きな人にはぜひ旅先で吟じていただけたらと思います。


Sくんが最後にのこした「掃き溜めに鶴だね」という言葉には、つまらない所に、そこに似合わぬすぐれたものや美しいものがある、という意味があります。渋谷の雑踏のど真ん中で詠われる詩吟教室にはそんなイメージがあるかも知れません。渋谷が悪いというわけではないし渋谷が好きですが、場所が物語る何かに思いを馳せざるを得ません。