富士山で富士山を吟じよう


7月25日、26日と、生徒さんたちが有志を募って、なんと「富士山に登って富士山を吟じようツアー」を敢行してきました。


詩吟で吟じる有名な「富士山」という江戸時代の石川丈山がつくった漢詩があるのですが、生徒さんで、山登りが大好きで百名山を制覇しているAさん(「詩吟女子」でも紹介しています)を筆頭に、実際に富士山に登って山の上で「富士山」を吟じたい!!!ということで、今回にいたりました。


以下、ナチュラル詩吟教室のFacebookページに投稿していただいた動画がご覧いただけます。


生徒さんたちの「富士山で富士山を吟じようツアー」素晴らしい!
Posted by ナチュラル詩吟教室 on 2015年7月30日



いや〜おみごと!!まさに"雲外の頂き"。周りの登山客の方から拍手が起こったそうです。


かく言う私はいろいろあって行けなかったのですが、ちょうど、9月12日13日に「せんだがやタウンマーケット」で行うワークショップの打ち合わせに鳩森神社に行っていました。


なんとそこに、富士塚(富士山を細部まで模した小さな丘。かつて江戸時代に富士山に行けない女性や病人がこれに登って富士山に登ったのと同じご利益を得た)があったので、それに登って吟じました。



なんだか富士山に行った気になってスッキリしちゃいました。まあ実際の富士山に行ったらもっとご利益があるのでしょう。


そんなわけで、最近生徒さん有志が「発表会のために浅草に浴衣を買いに行こうツアー」とか、「中華街に"サプライズ・詩吟コース"を食べに行こう」(お一人様7,000円!!)とか、いろいろ詩吟に関するイベントを企画してメンバーを募ったりしていて本当に楽しそうで何よりです。


さて、詩吟仲間でどこかへ出掛ける、というのは今に始まったことではなく、詩吟愛好家の方々はご高齢にも関わらず、やれ中国は李白・杜甫の詩のゆかりの地だとか、日本も各所に詩吟で吟じられる詩のゆかりの地がありますから、そういうところみなさんで巡ってはその場で吟じるというのを楽しんでいらっしゃいます。


会社の上司や同僚でもなく、古くからの友人でもない。最近知り合った習い事の仲間と、その習い事にまつわるところに出掛ける遊び……。そもそも詩吟という一風変わった習い事をする人が身近にいるかといったらいないですよね。


「あの詩がいいよね〜」「あの作者がいいよね〜」「どれくらい練習してるの〜?」という会話もそうそうできないわけで。ただ、どんなに遠くても自分の詩吟教室に集まればそういう仲間がいてそういう会話ができる。


別に毎週会う必要はないけど、たまに会うだけでもとてもフレッシュで、しかもなつかしく、 心のつながりのようなものを感じる。


かつて地域コミュニティにあった仕事や親戚以外のつながり、同年代以外のつながりといったものは、ご近所つながりや、地元のお祭り、近所の習い事、というのがそういう役割りにありました。しかし、現代は一人暮らしの人も多く、仕事も忙しく、なかなかそういった仕事以外のコミュニティというのに参加しづらくなっている。

 
そのような中で、習い事が、 新しいコミュニティ形成に役立っていると言えます。


新しいコミュニティができるとどうなるか?


一言で言うと、「人生が豊かになる」。


前回のコラム「詩吟とは、魂の救済である」にも書いたのですが、詩吟は歌であり、音楽である。しかし、ここで間違えてはいけないのは、歌であり、音楽であっても、"芸能"ではない。ということなのです。


もちろん芸能としての詩吟もありますが、そもそもは、人を楽しませるための芸ではなく、自分のためにやる習い事。 だからこそ、こうしていろいろな人が集まり、誰もが主役で、誰もが聞き役で、詩吟の楽しみを共有し、コミュニティを形成することができる。


古代ギリシアの市民は演劇をやることが義務で、昨年のあいつらのはああだったとか、今年のおれたちはもっといいぞ、とか、そんなことを言い合ってたそうな。つまり、何が言いたいかというと、そういうことをやっていると社会はうまくいくってことです。


(ほんまかよ!?)


演劇なり、詩なり、過去の遺産を共有するってことです。独占しない。


まあ、難しい話はこれくらいにして、これからもどんどん楽しい詩吟イベントを開催していきます!!!!


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