能楽師・安田登先生の寺子屋に行ってきた
今日は、能楽師の安田登先生が開催している寺子屋なるものに参加してきました。これは、広尾の東江寺というお寺で月に2~3回(定期的ではない)開かれているもので、投げ銭というか、お賽銭スタイルでいろいろ学べるというもの。
安田先生は面白い本をたくさん出版されていて、最近では、『あわいの力』(ミシマ社)、『肝をゆるめる身体作法』(有楽出版社)、『日本人の身体』(ちくま新書)など、詩吟をやっている自分としてはタイトルだけでも震え上がるようなものばかりなのですが、日本的なものや作法などの分野よりも、特にそれ以外の著名人からも一目置かれていらっしゃいます。
私の著書『詩吟女子』を出版した春秋社からも、芭蕉の本(「身体感覚で芭蕉を読みなおす。ー『おくのほそ道』謎ときの旅」)や、その他もろもろ面白い本を出版されていますが、私が安田先生を知ったきっかけは、春秋社に詩吟本の企画を売り込んだ際に、おそれながら編集者の方に教えてもらって、猛烈に読みはじめ、猛烈に影響を受けています。
そして、その頃から、安田先生の寺子屋のことも聞いていたのですが、ずっと行けていなくて2年以上経て、満を持して行ってきたわけです。
噂によると、座禅をやったり、甲骨文字を読んだりすると聞いていて、正直かなりビビっていました。行く前からやたら緊張していて、逃げ出したくなるようでした。 なれど、詩吟教室の体験レッスンに来てくれる方もこんな感じなのかなあと思いつつ、勉強勉強と自分を奮い立たせ、広尾の秋風に吹かれるようにして会場に飛び込みました。
結果を先に言いますと、帰り道、感動しすぎて吐きそうで、電車を待っているホームで不覚にも嗚咽、放心状態が帰宅まで続き、今これを書きながらやっと正気に戻ってきたという感じです。
***
私が安田先生に憧れすぎているというのも大きいですが、先生の本を読んでも、ゲストでご登壇したPodcastのお話しを聞いても大いに学べるのに、実際にはこんなにもか!というものでした。授業を受けているこちらは、小さな悩みも大きな悩みもどこ吹く風といった感じです。
それで、本題の本日の寺子屋では、ゲストに狂言師の奥津先生と一緒に、能の「自然居士」という演目の一部を聞いたり、実際に参加者みんなで声に出して謡ってみたりしたわけですが、とにかく最初から最後まで面白くて、あっという間の2時間でした。
音楽的なことや、身体的なこと、古典のこと、能面のこと、小学校をまわっての授業のこと、歴史的なこと、根本的な理解、所謂学びの楽しさなど、多角的であって凝縮されている。寺子屋の授業について多くは語り尽せません。何より、安田先生の圧倒的な声とセリフと謡い。そして、兎にも角にも楽しそうにやっていらっしゃるということでした。
あと、どうやっても今まで聞いたことのないくらい凄い声を出されるのです。
安田先生の凄い理由の大きな1つに、氏が、子供の頃からやっていたというわけではない、ということなんです。
聞いた話しによると、能というあまりに眠いエンターテイメントが600年も続いたのが何故か、という疑問で始めたとか。
つまり、超大人でありながら、つまらないと思いながら始めているんです。でも、その世界でどうか知り得ませんが、安田先生は圧倒的に凄い、とシロウトの私でも思います。また、私の尊敬する圧倒的に詩吟の上手な人も、大人の良い年から始めた人ばかりです。
これは、子どもの頃から詩吟をやっていた者としては脅威ですが、実際にそうなのです。だからこそ、私にとって安田先生は怖い。
怖いし、何より、今から詩吟なり、伝統芸能なりを始めようとする人にとってめちゃくちゃ可能性があるということを声を大にして言いたい。
こんなことを言うのも本当に何なのですが、私が通っている女性向けのとてもライトなヨガ教室の中でもすごい先生がいて、うまーい具合に順序立てて誘導してくれるものだから、同じことやっていていつもできないポーズが何故かできてしまいます。
この「アレアレ!?」という奇跡がこの寺子屋でもあって、それにも似た、いつの間にやら出来てしまう、まさか出来ないと思っていたことが出来てしまう、見えないものが見えてしまう、この感動たるや。
そして、まさかそのヨガの先生が子どもの頃からやっていたとは思えません。
もう言葉にならないし、誰にも教えたくない、と思ってしまう程。
しかしながら、全然偉いとかそういうのが一切ない。
古典をやっていると少なからずそういう人にぶち当たるし、かく言う自分も恥ずかしながら奢ってしまいそうになる。
しかし、古典におけるスーパースター、つまり世の中を良い方向に進化させていった人や歴史をみると、今もそうだと思いますが、一般人目線のような気がいたします。
安田先生が、二千年来の偉人、孔子、キリストを経て次なるは、この私です!というのを夢見ていた的なことを本当に笑いながら冗談で言う、あの感じが、私の浅はかな知識ですが、詩吟で言うところの、江戸時代に勉学における改革をもたらした荻生徂徠なぞと多少重なったりして、どうにもこうにも目頭が熱くなってしまうのでありました。
詩吟の愉しみを多くの人に伝えたいという思いが、時として、一般論に流されやすくなりますが、例えばそれが、健康にいいだとか、声が通るようになるだとか、そういったことは、古典を実際に声に出してみるとわかることですが、そんなことよりも断然得るものがある。
それは何か?
ある種の”つながり”のようなものである。
まあそう言ったダイナミズム(そのものが持つ力強さ)はもとより、安田先生の近著で言うところの、「肝をゆるめる身体技法」(私もまだ読んでいなくて恐縮ですが)、このタイトルだけでも全てをついている。私のやりたいことでもあるし、きっといいことである、そんな気がしてなりません。
さて、今日の寺子屋の授業について多くを語れないと言いましたが、これだけは少し言っちゃいます。
それは、安田先生が能の謡いと比較して、「センチメンタルジャーニー」を歌ってくれたことです(松本伊代のではないやつです)。
どの何かは本当に残念ながら聞き損じてしまったのですが、ジャズミュージシャンかオペラの如く、ちょっと待って、能楽師ですよ。信じられないほど、まるで洋楽のミュージシャンそれ自体だったのでした。なんだこれは、と。
***
私は今日たまたま図書館で松岡正剛氏の「情報の歴史」という図鑑風なものを眺めておりました。これが世界史と日本史が混ざった年表で、編集者視点でピックアップされているというもの。
これによると、私も吟ずるのに大好きな和歌のうちにある良寛の時代にはショパンが、また、一般的にも詩吟で吟ずる漢詩が多い江戸儒学最盛期にはシェイクスピアが、幕末好きもキャーキャーな高杉晋作の頃にはルイス・キャロルの不思議の国のアリスが、同時期に起こっていた。
これだけでも何か必要性を帯びた気が致します。
この現象を何かと問えば、シナジェティクスと言う。はー?てなもんで調べてみたら、シナジー幾何学というもので、あのバックミンスター・フラー(建築家でジオデシック・ドームを作った人)が提唱したのものです。
シナジェティックスとは、分野を超えて関連し合いながら、変化、進展をしていき、その学者自体の直接の体験自体が、その要素でもあるため、実践と経験、熟練士からの対話、講義を受けること、というもの。
つまりは、これはまさしく、安田先生の寺子屋である。
なぜなら、能という日本古来の音楽のリズムと、外国の「センチメンタル・ジャーニー」のリズムを、実際に本人が歌って比較して教えてくれる。
だからこそ、安田先生の授業は面白いのである。
***
私はこの経験から一転しました。伝えるということについてよく考えています。
それと同時期に非常に面白いことがありました。私の主催するナチュラル詩吟教室で、月に一度行っている合吟クラスというものです。
そこでは、1つの有名な詩を男女問わずみんなでユニゾン(ハーモニーがなく同じ音、あるいはオクターブで歌う)で吟じます。男女ではオクターブでやらなければいけないため、女性はより高い声、男性はより低い声を出さなければ合わせることができません。
普通これがいかにもマイナス要素になるため誰もやらないのですが、やってみるわけです。
そして、先日のレッスンでは、その参加者の方の中から男女1名ずつペアになって吟じてもらう、という時間を作りました。これが、まあすこぶる感動的で、盛り上がった。気持ち悪いくらいに。
参加してくださった生徒さんに感想を聞いてみると、上手い下手とかの以前に、精一杯出すという感覚が一緒だったのではないか、という意見があり、なるほどー、と腑に落ちる感じでした。
それにも増して、違う生徒さんの意見では、合吟という1人で歌う以上のスタイルはあるが、それは、3人以上であって、男女2人はもはや違うものである何かであるということ、ということでした。また、それぞれの良さが引き立っている、とも。
伝統的な形式的なスタイルの流れでは気付きませんが、それがやってみると、味わったことのないような感動がある。
メジャーではありませんが、男女2人の合吟はきっとかつてあったのかもしれませんが、私の父と母がやっているのしか見たことがありません。それも、なんだか身内ながなら恥ずかしいですが、その関係だからできる、みたいな無茶がある。
ということは、その無茶をやってみようではございませんか、というものすごく身を乗り出した気分なのです。とっても楽しそうなことに一歩踏み出したことだと思います。
この経験は、詩吟だけでは語れないような気がしてなりません。どうにかシナジェティクスに語りたい。
上手くいえませんが、それを形にしたい。ただそれだけのこと。
安田先生の授業を受けて、全く先の見えぬ可能性を感じました。
何より、安田先生のような師をもてて(こちらが勝手に思ってる)、幸せです。
生きててよかった〜
▶他の詩吟コラムを読む
▶無料体験レッスンのお申し込みはこちら
▶「詩吟女子:センター街の真ん中で名詩を吟ずる」乙津理風著(春秋社)