昨日のレッスンで、生徒さんから、民謡や津軽三味線のマンガがあるらしいという話しを聞きました。なんでも、コンクールに向けて頑張るんだとか。なぬ!それでは詩吟マンガがあっても全然おかしくはないではないか!
ここは敢えてそのような既存のマンガの内容を調べないでおいて、いろいろ構想を練ってみることにします。コンクールに向けて頑張るなら、まあどこも一緒ですよねえ。
そう言えば最近、私が詩吟ボーカルを務めるバンドことneohachiのシンセサイザー・エリーから能マンガを借りたばかり。その名も『花よりも花の如く』!少女コミック「花とゆめ」連載のバリバリの少女漫画でまあ引くぐらい美しいこと極まりなし。
主人公のいわゆるメガネくん(実は超かっこいい男子)が、能に励むというもの。能役者としての生活もさることながら、その私生活のことある事件と、演目の内容が図らずも、というか、もちろんよくできてリンクしています。
能の演目の内容の理解にもなるし、とっても能が観たくなる。しかもぜーんぜん難しくない。演劇としてのセリフとか声の出し方みたいなものは、 それこそまったく重点が置かれてなくて、見た目の美しさとか、本来そうなんだけど、そういうところ、がんばってる感じとか、能が大好き!っていう感じ、あと家族みんなが応援してまーす!っていうのが、本当にあったかくて良い感じです。
例えば、バレエ漫画に置き換えればよくわかる気がしなくもないです(読んだことないけど)。
それにしても、見た目が美しいとこんなにも惹きつけられるのか~、と思っちゃうぐらい素敵です(決してイケメン目的ではない)。
で、もし詩吟マンガがあったら、という妄想です。
詩吟には能のような芸能として、エンターテイメントとしての見せ方はありません。しかし、コンクールとなると、超派手な着物で豪華な舞台で吟じる、というステージが無きにしも非ず。
それこそマンガになったら、魅力的だろうーなーと思います。美男美女が美しい着物で吟ずる……的な!
しかーーーし、実のところ、それはある一定の流派に限る、いわゆる決まりであって、ほとんどの流派がそこに重点を置いてません。
つまり、豪華な衣装でなくても、吟が良ければいい!ということ。
そうなると、なーんだ、つまんない!ってなりそうなんですけど、そのがっかり感から詩吟マンガが始まったら面白いんじゃないかなーって思ったりしてます。
派手な着物着てかっこいいから始めました!という主人公が、あれあれー!全然地味じゃーん、失敗したー!みたいながっかりから始める。しかしそこにはとんでもない面白が待っていた…!!!!!!
なんてね!
そんなことばかり考えていたら、数年前の出来事を思い出しました。
ナチュラル詩吟教室かけ出しの頃、大学生の生徒さんがいたんですけれども、彼は、その大学の詩吟部に、半ば騙されたようにして入ってしまった (まあ、サークルとか部活の入部ってそんなもんですよね)。で、まあその部活の稽古が厳しいし(なぜか走り込みとかやらされていて)、年配のOBは口うるさい(想像がつきますね)。
そういうこともあって、ナチュラル詩吟教室に傾れ込んで来てくれたわけですけれども、彼には才能がある、ということはなんとなく一目でわかるんです(みんな才能はあるんですけれども)。
それで、あるとき、流派の若者がんばろうの会みたいなのがあって、彼を誘ってみたんです。実は、その会、正直全然面白くなくて、若者も集まらないし、とかくモチベーションが上がらない。それを批判したいわけではなくて、大きな組織だとそういうことって会社でもなんでもあると思うんです。
そういうわけで、その会では結構いい会場でちょっとしたステージがあって、一人一人吟じるわけですが、その彼がものすごーくかっこよかったんです。マイクから一歩離れて、マイクなんて僕にはいりません!みたいなスタンスで超堂々と吟じていました。
若者がんばろうの会とは言え、親がやってたから何となく小さい頃からやっていて、若者も通り越して大人になりましたみたいな(私みたいな)人が多いなかで、何のタイトルも段位も持たず、詩吟を始めてちょっとの彼が一番輝いていた。
私はかつて、あんな良い意味での「オレはオレ」みたいな詩吟を観たことがありません。かと言って俺酔いしてるわけでもない。堂々ということは彼のためにありき!みたいな瞬間でした。
本来詩吟が、よりよく生きるための身体能力を高める手段の一つという側面が、彼がその後、就職活動の面々で度々詩吟をやって、遂には内定まで取り付けたということが全てを物語っているように思います。
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感動と言えばもう一つ。
最近入会した生徒さんで、とても声の小さなタイプの人がいます。もちろん、こういう人がナチュラル詩吟教室に来る由縁は、大きな声が出したいというのもそうですが、歴史や文学が好き!という人も多いのが実情です。
それで、マンツーマンのレッスンで、声の出し方の技術的なレッスンをするのですけど、その間に、歴史や文学の無駄話をしたり、身体を動かしたりして、忘れた頃に、びっくりするくらいの大きな声が出ることがあります。
ほとほとこちらがびっくりしていると、当の本人は、「普段あまり声を出さないからですかね~(小声)」と当たり前のように言っている。
ということは、普段大きな声を出さないから、出すときは出る。出るときは出るんだよー。と、身体が、何かうったえているようにさえ感じられました。つまりは、これは極端ですが、声は、普段は出さないが、出さざるを得ないもの、出す時が必要なもの、と捉えることができる。
変な話しですが、ナチュラル詩吟教室では、声が集まって、出る、ということが自然になされている。
「だから『ナチュラル』なんですね~。」と、また違う生徒さんが言いました。
ナチュラル詩吟教室ではそれを、拡げてゆきたいと思います。
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そうそう!そもそも詩吟マンガがあったら、という話しでした。
つまり何が言いたいかというと、生徒さんの話しが最もリアリティであり、ドラマのような感動があるということです。(おいおい!ネタにしてごめんなさい!)
でも、詩吟の見た目のイメージなんかにおさまらない、詩吟における本当の面白さ、
つまり、詩吟を通して、人のかくれ持った面白さを伝えたいんです!
というわけで、詩吟マンガの監修はぜひこの私にお願いします!(なーんて、言ってる間にもう始まってたらどうしよう…、ま、いっか!そしたら小説だー)
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