"詩吟とは、魂の救済である"
と、まあ大それたタイトルをつけちゃったんですけれども、なぜか、というのは後半にとっておくとして、最近おこった嬉しいことを三つほど書きたいと思います。
まず一つ目に、関西に住む20代の女性から体験の申込があり、なんと大学のゼミで詩吟と社会学をテーマにした論文を書いたとのこと。
彼女は高校大学と詩吟サークル的なところで詩吟を学んできたそうですが、マンツーマンのレッスンは受けたことがない。されど、この度就活で上京するので、一度マンツーマンレッスンを受けたい、というわけで渋谷のカラオケボックスに来てくださいました。
彼女の書いた詩吟論文を拝見したのですが、一般的な詩吟概念では触れられることの少ない、詩吟の社会的あり方をよく研究されていて大変興味深いものでした。さらに、拙著「詩吟女子」を参考文献として使用してくれていました。
私は非常に感動しました。本当に嬉しく思いました。なぜなら、 自分が「詩吟女子」を書くにあたり、詩吟を調べるのに詩吟の資料が少なく、かつ難しく大変苦労して、「詩吟女子」ではできる限りわかりやすく書くことに務め、いつか次世代の若い人が詩吟について調べるときの参考になればいいな、という思いで書いたからです。
どれだけためになったかわかりませんが、夢が叶ったような気持ちで大変に喜ばしいことでした。彼女は本当にいろいろ調べて書くことが好きだそうで、就活も新聞社や出版社を受けているとのこと。そして、いつか本を出すのが夢だ、と私に話してくれました。
別れ際に心のこもった声で「どうやって出版にいたったのですか?」と聞かれたのが印象的でした。きっと、彼女はこれを聞くためにここまでわざわざ来てくれたに違いない、と感じました。私は精一杯答えたつもりですが、少しでも力になれたら幸いです。
何しろ、本当のことを聞くのも、言うのも、大変勇気がいることだと思うからです。
嬉しかったこと二つ目。
ナチュラル詩吟教室に入会してから三年目の生徒さん(50代・主婦)のお話しです。
彼女はちょっと変わっていて、私の所属する流派と違う流派のお家元のご子息の奥様という立場でいらっしゃいます。結婚してからずっと詩吟の世界に関わらざるを得なくて、お手伝いをしたりしていたそうなのですが、ちゃんと習ってはいなかったそう。
しかし、インターネットでナチュラル詩吟教室を見つけ、基礎から習いたいと思い、旦那さまとそのお母様である家元の了承を得、三年前から渋谷センター街のカラオケボックスに通うようになりました。
とても熱心で、私の所属する流派の発表会にも応援に来てくれるほどでしたが、そのような場に立てないというジレンマもあり、いよいよ自身の流派のコンクールに出てみるという気になったそうです。
そんなわけで、そのコンクールで吟ずる詩を稽古しましょうと言って稽古をしました。
しかし、問題なのが、所謂流派の違いということです。これは何かというと、基本の題材である詩や大まかな流れは同じなのですが、細かな歌い方と価値観が流派の違いとなります。私が教えられるのは基本の発声と志のみですが、価値観が大幅に違う流派の場合、私や私の所属する流派が良しとしても、ほとんどがそううまくはいきません。
そのような状態でしたが、忘れたころに彼女からメールが届きました。以下、頂いたメールを引用します。
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昨日、吟道学院のコンクール埼玉地区予選に出場してきました。
目標は私のナチュラル詩吟を精一杯に吟ずることのみ!
結果、漢詩部門で3位に入賞することができ、
緊張でガチガチで、とても満足のいく出来ではなかったのですが
周囲を気にせず、理風先生と学んだことをやればよい!
そして、入賞よりも嬉しかったことは、
私自身は、
本当にナチュラル詩吟と出会えてよかった。
そうじゃなかったら、同じ詩吟に関わっていても、
心の中にずっと先生とナチュラルの仲間がいてくれた事もとても嬉
これからも流派は違っても、
どうぞよろしくお願いします。
このメールを読みながら、一人笑顔がほころびつつも涙がじんわりしていて、よくわからない変な顔になりました。まあ、とにかく嬉しかったです。
ほとんど全てが彼女の実力に他なりませんが、彼女が詩吟をやってよかった、と言ってくれたのと同じように、私も彼女のおかげで、詩吟をやっていてよかったと心底思えることができました。
最後にもう一つ、嬉しかったこと。
先日7月5日に、七夕祭り発表会が開催されました。生徒さん32名が出吟。ご見学の方も多く、大盛況となりました。(上記動画で「みんなで吟じようコーナー」がご覧いただけます)
もうそれ自体が楽しく有意義であったのですが、今回は特に、初めて参加された方や、ご見学の方が、「面白かった」「また観たい」と言ってくれたことでした。
中でも、最年少で初めて参加してくれた5歳のRちゃんが堂々の吟じっぷりでした。 それにも増して、そのお母さんが吟者皆さんの発表にすこぶる感動してくれて、特にご夫婦で合吟をされたのを観て、家族吟がいい!と思われたのでしょう。次からお母さんも詩吟を始めることとなり、ゆくゆくは親子吟をやりましょう!ということで盛り上がりました。
私はこれまた心底感動してしまいました。
何だかうまくいえないのですが、いい方向に行っているなあ、という感じです。
これ以外にも、発表会ではたくさんの喜びと成長があってここでは書ききれないほどです。
思うようにできなくて悔しい思いをした人も、よくできた人も、みんな新鮮な体験ができたのではないでしょうか。かく言う私もいつも新鮮な体験に心を奮わせて勉強させてもらっています。
そんな折、私にとって大きな試練がふってきました。
テレビ番組(バラエティ)の出演です。
収録は終りましたが、まだどうなるかわからないので詳しくは言えないのですが、良い経験をさせていただきました。
具体的に何が、かと言うと、詩吟を知らない人に詩吟をどう伝えるか、ということです。
不慣れなことに上手く伝えられたか恥ずかしながら自信がありませんが、少なくとも詩吟とは何か、ということを改めて考えさせられたことは確かです。
番組内で投げかけられた、最大で最高な質問についてよく考えてみます。
「詩吟て歌なんですよね?」
そうです。そのとおりです。
しかもメロディはほとんど一つしかなく、それに言葉をあてはめていく。(故にエロ詩吟のようなギャグも成り立つ……。但し、本来の詩吟は、有名な和歌、俳句、漢詩に限る。)
ーー答えてから後。。ここからは、私の見解です。ーー
なぜ、同じメロディか。
メロディが同じだから誰でも歌える!(一つ覚えてしまえば難しくない!)
では、なぜ、わざわざ歌にするのか。
歌(音楽)は、魂の救済であるから。
故に、伝統として(良いもの)として受け継がれている。
という視点に改めて気づいた次第です。
ーーー
さっき夕飯を作りながら、何気なく昔好きだったロックバンドのCDを聴きいていて、こみ上げるものがありました。なんだか最近てんやわんやしてたけど、ぐっと心が収縮されて解き放たれる感じ。ああ、音楽は私の心を救済してくれるんだなぁ、と。
そこで、詩吟が歌(音楽)である意味がわかったような気がしました。
詩吟のメロディは、初めて聴いた人にも懐かしく、心を落ちつかせるものがある。
それに乗せて、自分(声)を楽器(音)として、素晴らしい文芸詩を奏でる。いくら良い詩があっても音楽として奏でなければ意味がない、とまでは言いませんが、そうすることによってより一層楽しめるし、他者とコミュニケーションできる。
詩吟とは、魂の救済である
大げさかもしれませんが、そんな言い方をしても悪くないかもしれません。
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