12月7日は女流歌人として有名な与謝野晶子の生誕の日であります。
彼女の代表作といえばこれ、
やは肌の あつき血汐にふれも見で
さびしからずや道を説く君
(与謝野晶子)
通釈:道学の先生達よ、女の熱愛に触れることもしない感情の没却は寂しくありませんか
坊さんに恋してしまった彼女は13通ものラブレターを送るも、かったーい返信しかきません。泣けてきます。
彼女の歌集『みだれ髪』では、女性が自我や性愛を表現するなど考えられなかった時代に女性の官能をおおらかに詠い、浪漫派歌人としてのスタイルを確立。伝統的歌壇から反発を受けたが、世間の耳目を集めて熱狂的支持を受け、歌壇に多大な影響を及ぼすこととなった。
のちに既婚者であった与謝野鉄幹にぞっこんとなりあいなくと結ばれ、11人の子供に恵まれます(どんだけ!)。鉄幹は彼女の才能を見出し『みだれ髪』の出版させた敏腕プロデューサーでもあります。しかし晶子が注目される一方で旦那はくすぶっているばかり。そこで晶子は鉄幹にパリ行きを指南。旦那をパリへ送ってからも、いてもたってもいられず子供をどちらかにまかせ、自分もパリへ。のちに鉄幹との共著『巴里より』を出版。「(上略)要求すべき正当な第一の権利は教育の自由である。」と、女性教育の必要性などを説きました。
もうひとつ有名なのが『君死にたまふことなかれ』。弟が日露戦争の兵隊にとられたときの歌です。本作は長いのでここでは割愛しますが、お国万歳のかつてにこのような反戦歌を発表した彼女は「どんだけ女性」として尊敬をはるかに超越したところにいます。
さて、詩吟で吟ずるにあったって、「やは肌に」のような短歌を吟ずるのは女性がいいのでしょうか。
そうですね。
そうでしょうか。
私自身、かつて国語の授業でこの詩を知ったとき(10代前半)、うわうわうわーと思いました。よく意味が分からないけど、きっととんでもない大人の世界なんだなーと妙にドキドキしたりしながら朗読するわけです(テストにでるので)。
さて時代は今、ひとむかし前から草食系男子なる流行語が飛び交い、世の女子たちをがっかりさせているのか、きゃーきゃー言わせているのか謎です。
男子が女子が、草食か肉食か、といったことは無用にて、人のことなどいくら考えてもわからないわけで、とかくどんな男性も女性も猛烈な詩吟を吟ずることによっては、自らの声の響きで空間も観念もぐらぐらと揺れ、やがてでっかい一本筋が見えてくるのであります。
詩吟の面白いところは、詩の内容が女性的であれ男性的であれ、普遍的に優れている点。内容はもとい、大声で吟じることに新たな発見があるかもしれません。そしてそれが日本文化を知ること、そして自分自身のルーツを知ることへ繋がるのであればたのし。そんな味わい方もあってもいいのではないのでしょうか。
というわけで、思いきって「やは肌に」を吟じてみましょう!