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[12月]寒〜い年末に吟じたい詩吟「楓橋夜泊」

ピリっとした寒さとお寺の鐘の音が年末に吟じたくなる詩吟「楓橋夜泊」をご紹介します。



月落ち烏啼いて 霜天に満つ
江楓漁火 愁眠に対す
姑蘇城外 寒山寺
夜半の鐘声 客船に到る

▼通釈
月が沈み、烏が鳴き、霜が空に満ち満ちている。漁り火に照らされた楓の紅色が、旅愁のために眠れない目に映る。蘇州の町の外にある寒山寺から、夜中を告げる鐘の声が、私の乗る舟にまで届いてきた。(「石川忠久 中西進むの漢詩歓談」)


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▶「詩吟女子:センター街の真ん中で名詩を吟ずる」(春秋社) 
▶『大声のすすめ。〜和の発声法で伝わる話し方〜』(晶文社)
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[11月]紅葉を愛でながら吟じたい詩吟「山行」


11月はだんだんと葉も色づいて紅葉シーズンになりますね。真っ赤に染まる山々はそれはそれは美しいことでしょう。紅葉を見に山へ出かける方も多いかと思います。そんな紅葉を愛でながら吟じたい有名な詩吟「山行」をご紹介します。



遠く寒山に上れば 石径斜めなり
白雲生ずる処 人家有り
車を停めて坐に愛す 楓林の晩
霜葉は二月の 花よりも紅なり

▼通釈
晩秋のさびしい山に登っていくと、石の小道が斜めに続いていて、白い雲が湧いているあたりに人家が見える。車を止めて気の向くままに夕暮れの楓の林を愛でると、霜に打たれた楓の葉は、二月の花よりももっと赤いのだ。(「石川忠久 中西進むの漢詩歓談」)

***

紅葉シーズンになると、思いがけず目に入ったもみじがびっくりするほど赤くて、毎回驚かされます。そんなとき、この詩の最後にある「二月の花よりも紅なり」という言葉がふと口をついてでる……。じーんときます。大好きな詩です。


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[10月]令和を祝って吟じたい詩吟「万葉集梅花の歌序文」


令和元年10月22日は「即位礼正殿の儀が行われる日」として祝日になりました。そんな令和を祝って吟じたい詩吟、万葉集より「梅花の歌三十二首 序文」をご紹介します。新元号「令和」の由来となった部分です。

初春の令月にして、気淑く風和らぎ、
梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫ず。

▼通釈
初春の佳き月で、空気は清く澄みわたり、風はやわらかくそよいでいる。梅は佳人の鏡前の白粉のように咲いているし、蘭は貴人の飾り袋の香にように匂っている。(「新版 万葉集一現代語訳付き」伊藤博」

***

新元号が「令和」に決まって、その由来が万葉集の漢文の部分であると報じられたときに、「やや!これは詩吟として吟じられるのではないかしら!?」と思い、さっそくやってみると、なんとまあ晴れやかな気持ちになること!

そもそも詩ではありませんので、今まで詩吟として吟じてはこられませんでしたが、漢文で読み下しのものは詩吟調で吟じることができます。

この何とも言えない新感覚をみなさんで共有したい!と思い、YouTubeで公開したり、ナチュラル詩吟教室の生徒さんたちと練習して、いろいろな場所で吟じたりしました。


全国の詩吟愛好家のみなさんも、各々節をつけて吟じて楽しんでいるようです。

私も何回も吟じています。ぜひ吟じてみてください♪

※解説本によって「薫らす」と読んだり読み方はまちまちですが、詩吟で吟じる際に「万葉集2一日本古典文学体系」(岩波書店)に掲載の「薫(くん)ず」がしまってかっこいいと感じましたので、これを採用しました。


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[9月]お月見で吟じたい詩吟「中秋の月」


満月の綺麗な9月のお月見で吟じたい詩吟、蘇軾の漢詩「中秋の月」をご紹介します。




暮雲收まり尽くして 清寒溢る
銀漢声無く 玉盤を転ず
此の生此の夜 長しえに好からず
明月明年 何れの処にか看ん

(「中秋の月」蘇軾)

▼通釈
夕暮れには、雲はすっかりきえてしまって、すがすがしい冷気があふれるばかりである。天の川が音もなく静かに流れる中を、明月が移って夜も更けて行く。わが生涯、そうそうこのすばらしい中秋の夜にあえるものではない。この明月を明年はどこで見ることであろうか。(「普及版 吟詠教本 漢詩三」日本詩吟学院)

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[8月]旅先で吟じたい詩吟「夏草や」




夏草や 兵(つはもの)どもが 夢の跡


通釈:ああ、夏草のこの茂りようは!かつてここで激しく戦った武士たちの義心も功名も術策も大きな自然の中ではほんの小さな一瞬の営みに過ぎなかったのだ。彼らの望みは空しく、あとに残ったものは、土に還った彼らの肉体から夏ごとに生い出でる青草だけなのだ。


松尾芭蕉の有名な俳句、「夏草や兵どもが夢の跡」は、『おくのほそ道』の旅中、平泉を訪れた際に詠まれた句です。


私はこの句が大好きで、実際に岩手県平泉にも行きました。真夏の暑い日で、本当に平泉には何もなくて、草がぼーぼーに生い茂っていました。


私は「こういうことか……!」と妙にわかったような気がしました。


平泉に行ったらぜひこれを吟じたい!と思っていたのですが、呆然として吟じるのを忘れてしまいました。


先日体験教室に来てくれた友人のSくん(30代)とこの「夏草や」を吟じました。彼は山登りや釣りなどのアウトドアと南半球の音楽を愛しており、自称草食系男子と言えどもまだまだ若いSくんが発する大きな声からは、かつて先人が山や野原で叫び合われたような歌の原点を見たようでした。


体験教室の最後にはしっかりとこの吟が吟じれるようになったSくんは「人生変わりそう!」などと大げさなこと言ったのち(もちろんとっても嬉しい感想!)、「あ〜」と何か納得したような深いため息を打ちました。そしてメキシコ旅行中に見たピラミッドの話しをしてくれました。


ピラミッドのある場所では、かつて権力をふるっていた者が奇妙な草花な集め、狂乱の宴を催し、とんでもない建物を造りとにかくやりたい放題やりきった。そして今となって彼が見たものはその残骸であるピラミッドと何ごともなかったようににょきにょき生い茂る草と飛び交う虫であったと言う。胸いっぱいになったと言う。


私はこの俳句に至る奥の細道の散文を思い出しました。


國破れて山河あり 城春にして 草青みたり と
笠うちしきて 時の移るまで 涙を落しはべりぬ


芭蕉もSくんのように先人に思いを馳せ、落涙した。メキシコにも行ってみたい。世界のあらゆる跡地を訪ねてみたい。そしてそこで吟じてみたい…。


歌は本来、言語がさだまっていない頃から、愛しい人への思いや神に救いを求めるとき、自らを律するために詠われてきました。まだ国の隔たりもはっきりしておらず、その頃のメロディーや発声方法は世界中で似たり寄ったりです。古典である詩吟が日本人のDNAに通じながらも人類のDNAに通じるのではないかというのは私の持論です。旅好きな人にはぜひ旅先で吟じていただけたらと思います。


Sくんが最後にのこした「掃き溜めに鶴だね」という言葉には、つまらない所に、そこに似合わぬすぐれたものや美しいものがある、という意味があります。渋谷の雑踏のど真ん中で詠われる詩吟教室にはそんなイメージがあるかも知れません。渋谷が悪いというわけではないし渋谷が好きですが、場所が物語る何かに思いを馳せざるを得ません。

[7月]スーパー猛暑に吟じたい詩吟「夏日偶成」


毎日猛烈な暑さが続きます。勉強なんかやってられないし、外に出て木陰で涼もうと思っても、むんむんと木から湯気が立っているようです。さて、そんなスーパー猛暑に吟じたい詩吟をご紹介します。



午倦書をなげうって 新茗煎る
中庭に搨を移せば 樹烟の如し
緑重重の裏 夕陽照らす
一朶の 石榴紅燃えんと欲す

(「夏日偶成」/三浦英蘭 )

▼通釈
夏の日中とて、何をしていてもけだるい。つい倦きてしまって、読んでいた本を抛り出し、暑気払いにでもと新茶をいれる。腰かけを庭の中に移動して涼を求めようとすると、庭の樹はもやがかかったようにかすんでいる。青葉が幾重にも重なりあっているところを、ちょうど夕陽が照らして、一枝のざくろの花は、まさに、燃えるように紅く輝いている。(※出典:「吟詠教本1」日本詩吟学院)


石榴(ざくろ)の花は夏に咲きます。夏らしい鮮やかな朱色。“紅一点”という言葉はこのざくろの花が由来だそうです。

この詩が作られたのは100年くらい前です。今ほどの猛暑ではないにしてもクーラーもない時代。夏の厳しい暑さに対する気持ちは今とそう変わらなかったのではないでしょうか。

そんな中でも緑や紅、夕陽や石榴など美しい言葉が彩りを添えていて、なんとも風流です。この詩を吟じると夏の暑さも少しはやわらぐかもしれません。


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[5月]野外や宴会で吟じたい詩吟「武田節」




疾如風
ときことかぜのごとく
徐如林
しずかなることはやしのごとし
侵掠如火
しんりゃくすることひのごとく
不動如山
うごかざることやまのごとし

▼通釈
「移動するときは風のように速く、静止するのは林のように静かに、攻撃するのは火のように。隠れるには陰のように、防御は山のように、出現は雷のように突然に」という意。元は孫子の兵法にある。武田信玄の軍旗に記された「風林火山」の通称。

三橋美智也の有名な軍歌「武田節」の中盤にこの風林火山を詩吟で吟ずる部分があります。とても人気な歌でこの詩吟をマスターしたいという方が結構いらっしゃいます。

***

詩吟の特徴である”ゆれ”や”こぶし”は風が吹いて木々の葉が揺れるように不定期で無抵抗なもののようにみえますが、実際には丹田というおへその下にある身体の中心を使います。

しかしいびきをかくように使っているので無意識、それ単体を意識で動かすことはできません。それではいったいのどうするのか。

吐露するような感覚で意識より先に声を出し、体内での声による響きと体外での空間の響きを身体で感じること。それを感じるには自然と丹田に力がこもります。

自分自身がずっしりと重たいお寺の鐘になったつもりで声の響きを皮膚感覚として感じることができれば、あとは自然と風が吹き木の葉が揺れるようになるのです。

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[4月]桜咲いちゃいましたね詩吟「春眠暁を覚えず」


あっという間に桜が満開。もはや散りはじめています。先日のレッスンで「桜咲いちゃいましたね」談義が花を咲かせました。来週にお花見の予定を入れている生徒さん曰く、


「でも明日雨らしいじゃないですか。散っちゃいますよね〜」


とのこと。まったくしかり。かく言う私も、ろくにお花見もせず桜を見逃してしまいそうな予感です。気を取り直してレッスン。桜満開、春到来、ということで春らしい詩をレッスンすることになりました。


春眠不覺曉 春眠暁を覚えず
處處聞啼鳥 処処啼鳥を聞く
夜来風雨聲 夜来風雨の声
花落知多少 花落つること知んぬ多少ぞ 


今から1300年以上前、唐の時代に生きた詩人、孟浩然(689-740)の五言絶句「春暁」という漢詩です。「春眠暁を覚えず(しゅんみんあかつきをおぼえず)」のフレーズは聞いたことがあるかと思います。春日和に仕事中うっかりうたた寝してしまったときの言い訳として重宝されているアレです。


「いやー、"春眠暁を覚えず" ってね。すまんすまん!」 


とか言って。知らない輩は使ってみてください。以外と見逃されること請け合いです。なぜこの言い訳が効くかというと、


「春はぽかぽかでねむくなっちゃうよね〜」(そうですねー!)


というグタグタな解釈がまかり通るからです。実際に訳すと、 暁は夜明けのことで、


「春の眠りは心地よく、うっかり寝過ごし、夜明けに気付かない。」


ですから、まったく昼寝の言い訳にはならないのですが、言葉の響きの美しさにかこつけてゴリ推しです。さてこの続き、

処処啼鳥を聞く(しょしょていちょうをきく)  
ーところどころで鳥がさえずっている


寝坊して起きてみると鳥がチュンチュン鳴いている、さしずめ天気が良さそうだ、とのんきなことを言っています。まあ、ここまではイメージ通り。この後が注目です。


夜来風雨の声(やらいふううのこえ)
ーそういえば、昨夜は風雨の吹き荒れる音がした。


え?もしかして雨降っちゃったの!?


花落つること知んぬ多少ぞ (はなおつることしんぬたしょうぞ)
ーせっかくの花がどれほど落ちたことか。


まじで!?お花見できないじゃーーーーーん!!!!!


というわけで、何か知らないけど「明日雨降って花が散っては困るーー!!!」的なところが孟浩然とめちゃくちゃシンクロした気分になってしまいました。状況が同じ過ぎるではないか……と。レッスンしながら、ちゃぶ台ひっくり返す勢いでした。


なんか、うまいことまとめると、ウトウトしている間に良いことは去って行きますから気をつけなんし、と言われているようですが、そんなのほっとけ!春は眠いし、雨が降って花見ができないと困るんじゃーーー!という(私の解釈)わけです。


今までこの詩は何回も吟じてきたはずなのに、今日ほど胸にグッと来た日はありませんでした。

 
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[3月]お花見で吟じたい詩吟「桜の花の散るを詠める」


お花見シーズンにさきがけて、桜の詩をご紹介します。「ひさかたの〜」で始まる、百人一首にもあり、桜の詩で最も有名な和歌の一つ。平安時代の歌人、紀友則の「桜の花の散るをよめる」です。今から練習して桜の下で吟じてみましょう!



 ひさかたの 光のどけき春の日に
        静心なく 花の散るらん

(「桜の花の散るをよめる」/紀友則 850 〜 904)

▼意訳:
日の光がのどかな春の日に、桜の花はどうして落ちついた心がなく散っているのだろう。

▼解釈:
古今和歌集には、何かを何かに例える「見立て」というテクニックを用いた詩がたくさんあります。桜の花の散るのを落ちついた心がなく、と詠んだのは、桜の花に作者の心を見立てたのでしょう。桜を見てどう感じるか、毎年楽しみになる詩です。


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[3月]卒業式や送別会で吟じたい詩吟「行く春や」


3月は卒業シーズンです。お勤めの方も移動などで送別会がとり行われることも多いのではないでしょうか。そこで、卒業式や送別会で吟ずるのにおすすめの詩吟をご紹介します。


行く春や 鳥啼き魚の 目は泪
ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ

(「奥の細道」旅立より/松尾芭蕉 )

友人の解釈:春が来て、旅立つ友を思い、鳥は鳴き、魚は目に涙をためました。私も泣いたり、叫んだりできたらなあ。


***


さい先は明るいに決まっている、しかしながら別れるのは惜しい……、思い切って泣き叫び、しがみつきたい思いだが、笑顔で見送ることができるなら……。


松尾芭蕉が「奥の細道」に旅立つ折に弟子たちに向かって詠んだ俳句です。


曲調は民謡のように明るく、曲の長さも短く1分もかからず吟じ終わるので、スカッとしてあとくされがなく余興にぴったりです。


私は送別会などがあるとこれをよく吟じるのですが、吟ずる前に一度朗読をして、なおかつ、詩の内容について簡単に説明してから吟ずると、詩吟を初めて聞くという方とも、別れや旅立ちへの思いを共有することができ、大変喜ばれます。


しかしながら実はこの詩、鳥が啼いて魚の目もうるんで泣いているようだ、というので悲しみを表現しているのだというのはわかるのですが、よく意味がわかりませんでした。そんな中、私がこれを送別会で吟じているときに一緒にいた友人が、「私はこう思う」と上の解釈を教えてくれました。


***

 
先日のお稽古中、大学で教鞭をとられている生徒さんから、「学生を送り出すのに合う詩吟はありますか?」という質問を受けて、急遽、松尾芭蕉の「行く春や」を稽古することになりました。


彼は詩吟を始めてもうすぐ丸2年。最近ご家族にも「上手くなった」と褒められたそうで、いよいよ詩吟を知らない学生たちの前で披露しようというお気持ちになられたのかと思います。


実際稽古してみると、とても伸びやかで、普段稽古している詩吟とは別の何かのようにさえ感じました。やはり、目的があって、誰かのために心を込めて吟じる、ということは、詩吟そのものを感動的にしてくれるように感じます。


それはなぜか。


相手に届けようとすると、ものすごく集中して、お臍の下の丹田が本能的に働き、人に伝わるいい声が出るようになるからです。


きっと詩吟に触れることが始めての学生も多いことでしょう。先生のアレは何だったんだと仰天するかもしれません。しかし、何十年か後に詩吟をやってみたくなるかもしれません。


そもそも詩吟は言葉です。誰かに思いを伝えるために吟じるというのも、伝統文化の在り方のひとつに思います。


さて、しみじみしてしまいそうな卒業式や送別会などで余興に、この「行く春や」大きな声で吟じて、元気よく送り出してみてはいかがでしょうか。


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[2月]恋心を匂わせる?詩吟「胡隠君を尋ぬ」


2月4日は立春です。また、2月はバレンタインデーもありますね!そんな2月に吟じたい、恋心を匂わせる(?)春の詩吟「胡隠君を尋ぬ」をご紹介します。



渡水復渡水(水を渡り 復た水を渡り)
看花還看花(花を看 還た花を看る)
春風江上路(春風 江上の路)
不覚到君家(覚えず 君が家に到る)

(「胡隠君を尋ぬ」/高啓 1336 〜 1374)

▼意訳:
あちらの小川を渡り、またこちらの小川を渡り、また堤の花を見、また花を見る。春風のそよ吹く川のほとり、知らず知らずのうちにあなたの家にたどりついてしまった。

▼解釈:
中国は明初期の詩人、高啓による五言絶句です。中国の古典によくある隠者を訪ねる、という内容です。また、訪ねても隠者はいつもいない、という隠れたオチがあるといわれています。

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[2月]梅の咲く庭で吟じたい新島襄の詩吟「寒梅」


梅の咲く2月に吟じたい詩吟、新島襄の漢詩「寒梅」をご紹介します。



庭上一寒梅 庭上の一寒梅
笑侵風雪開 笑って風雪を侵して開く
不争又不力 争はず また力(つと)めず
自占百花魁 自ずから百花の魁(さきがけ)を占む

(「寒梅」新島襄)

▼通釈
庭の木々にまじって一株の寒梅の木がある。その梅の花は冬の厳しい風や、或いは霜や雪に笑って耐えしのんだ後、はじめてこのような美しい花を咲かせるのである。別に他のものと争うわけでもなく、そうかといって力むわけでもない。それでいてこの花は自然に他の花々の先がけをするのである。


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